再発性多発性軟骨炎の実態

 

 注:海外の再発性多発性軟骨炎の患者の中には血液検査(炎症反応、抗体など)に異常が出ないケースは多数存在する。

       その患者達は、再発性多発性軟骨炎の典型的症状が出て診断がつく以前、「血液検査に異常が出ない事、および、

       慢性疲労症候群以外該当しない症状を持つ」故に、長年の間「慢性疲労症候群」と診断されていた者が多い。

 

 

特に「炎症反応が上昇しないケース」では、患者の症状(明らかな腫れを伴う激痛や軟骨の破壊による身体的不自由)があっても医師に

信じて貰えない事が多く、当初患者の訴えを信じてくれた医師でさえ、医師自身の経験不足と精神力不足(患者を信じる力不足)から、間もなく結果的に

患者を裏切る事が殆どで「心理的な問題」や「慢性疼痛」などと片付けられてしまう。再発を繰り返す患者本人は、患者数が圧倒的に少ない事もあり、

絶対多数の医師に対抗する手段がなく、どうしようもないまま、ただただ、体が壊れていくのを待つばかりの人生となる。

 

  再発性多発性軟骨炎は、個人差が非常に大きいので当てはまらない場合も多いが、大まかに4つのタイプがある。

  「激しい炎症がずっと治まらない」、「激しい炎症と中程度の炎症を繰り返す」、「中程度の炎症がずっと続く」、

  「理由はわからないが良くなってしまう」(また年月を置いて再発する、または、一生治ってしまう)。

  その中で、「激しい炎症と中程度の炎症を繰り返す」タイプは、急性期の激しい炎症があったあと比較的短期間で勝手にマイルドな症状に戻ってしまう。

  (非常に激しい炎症が起こっていてもある一定の期間でいつの間にかある程度治まってしまう)。一見すると治ったような印象を与えるので「治りが

  いいから大した病気ではない」と医師も患者も勘違いしてしまう。しかし、実際には、炎症が繰り返されるたびに軟骨組織が障害を受けていき、やがて

  再び大きな、あるいは過去最大の炎症を起こし軟骨そのものの破壊に至ってしまうと、最終的にその軟骨は使えなくなってしまう。(身体不自由になる)。

  軟骨は膝や指など一般的に知られている場所だけではなく、体中の骨のあるとこどこでも存在する。(耳、鼻、眼、胸骨、甲状腺軟骨、気管支、etc. etc.)

 

       このように激しい炎症が比較的短期間でおさまる特徴的なパターンは他ではベーチェットで見当たる。

       (ベーチェットも再発性多発性軟骨炎も「血管炎」と考えられている)。

       慢性疲労症候群関連疾患の「ベーチェット」(患者会大阪支部管理記事)参照のこと

 

  また、1.「再発時の炎症の強さ」、2.「再発までの期間」、3.「再発する場所」も大きな問題になる。

  1.炎症が充分強ければ一発で軟骨は破壊されてしまい、2.再発までの期間が短いと軟骨組織はダメージを頻繁に受け比較的短い期間で最終的に

  その軟骨は使えなくなる。3.再発する場所が胸鎖関節や呼吸器など気道周辺であった場合、炎症が強い場合は一発で命を落とすことがある。

  また同部位に中程度の炎症を執拗に繰り返している場合でも、やがて軟骨組織が崩壊し、最終的に命を落とすこともある。

 

いずれにせよ、「再発の強さ」、「再発までの期間(頻度)」、「再発の場所」によって、早期治療を始めなければ取り返しの付かないのであるが

「炎症反応」や「抗体」が上昇しない患者は「患者の症状」を信じてくれる医師が殆どおらず、医師から放置されたままが殆どである。

実際、気道周辺に再燃を繰り返しているにも関わらず、血液検査に異常が出てこない患者にとっては、たまったものではない。

(希少疾患で医師側に経験がない故、「作り話をしている」というまで専門医まで現れる)

患者は、医者の都合の良いように、症状や検査値異常を出したり引っ込めたり出来ない。

この非常に深刻な病気に対する日本の膠原病リウマチ科の医療現場の改善を何より切実に希望する。

 

この病気の患者は、再発性多発性軟骨炎という病気の深刻さを十分理解し、「患者の症状」にしっかり向き合って治療してくれる医師に出会うまで

気持ちを強く持ち続け、たとえやけクソでも、根気よく医師探しをする事が大切であるが、欧米(特に米国)の専門医の経験と比較した場合、総人口の違いから、

日本の医師の経験は桁違いに少ない。その中で、経験と理解のある医師を求め「医師探し」にかかる費用は、-国内(外)の引越を余儀なくされる事もあり-、

信じられないほど膨大な額となり現実には困難な場合が多い。その上、「患者数が少なすぎて声が届いていない」(2008年・厚労省)とのことで、難病指定も

ないため医療費も莫大で、患者にとって文字通り「一刻も早く死ぬのを願うばかり」となり、上記のごとく「筆舌に尽くせない人生」を歩む。(または、急な病状

悪化で死亡する)。−患者の絶対数が少ない点は”致命的な”問題である− 

 

<治療・検査について>

海外では、治療には、ステロイド(プレドニゾロン)、免疫抑制剤 (メトトレキサートなど)、生物学的製剤(分子標的製剤)が用いられ、

炎症反応の数値にかかわらず「症状」を規準に積極的に治療され、患者のQOLや寿命に大きく貢献している。

実際に幹細胞移植に至る患者も少なくない。

 

 国内では「ステロイド(プレドニゾロン)がよく効く」とあるが、個人差が大きい。

RP症状が激しいときに炎症反応が上昇しない筆者の場合も、プレドニゾロンは”100mg/day x 2ヶ月” (ひゃくみり/日、にかげつ) 

使用しても寛解にもちこめず、メトトレキサート17.5mg でもまだ再発を繰り返す。

    …プレドニンは速効であるが、肝心な「再燃の繰り返し」を止める事が出来ない場合がある。

    メトトレキサートも同じく、ある程度反応はするが、それでも、大きな再発を繰り返す事がある…

とかく、「炎症反応と症状の関係(重軽)」が論じられることの多い日本国内であるが、あまり関係ないようである。

 

- 海外には多数、幹細胞移植に至る患者も存在する。外見、とても元気そうであることから「危険な治療をするからではないか」

と医師から疑われることが殆どであるが、「検査結果に関わらず積極的治療が必要な症状」は”存在する”。

異論は多いと思うが、専門医を含め、医師は、患者の足を引っ張る前に実態を「しっかり」勉強して頂きたいものである。−

 

      炎症反応(CRP, ESR) 陰性は肺結核の場合でも問題視されている

       [清瀬複十字病院]  http://www.jata.or.jp/rit/rj/kekkaku/79ito309.pdf

 

 

<予後について>

再発性多発性軟骨炎の場合も、ほかの自己免疫疾患を合併する場合が多い。

近年めざましい医療技術の向上により、かつての「5年生存率74%、10年生存率55%(1986年)」から、「8年生存率 94%(1998年)」と改善されている。

合併症により、あるいは、医師側の経験不足による「正しくない処置」から、海外の患者をフォローしていると「死亡」の通知・報告が目立つが、

正しく診断・治療・処置がなされれば生命予後は大きく改善される。

以下、 抜粋 from CLINICAL REVIEW: Relapsing Polychondritis 

[Author: David E. Trentham, MD, and Christine H. Le, MBBS, FRACP, Ann Intern Med 1998; 129:114-122].

"Among patients younger than 51 years of age, additional factors predictive of a decreased survival rate included saddle nose deformity, arthritis, 

tracheolaryngcal strictures, vasculitis, and microhematuria".

(邦訳:51歳以下の患者では、鞍鼻奇形、関節炎、血管炎、気管咽頭狭窄、顕微鏡的血尿を含め他要素が加わる事により生存率の低下が予測される)

--全文:http://rpolychondritis.tripod.com/DRTrentham.html --

 

 

 

 

病気・自分とのつきあい方

 

 

希少疾患が故に、過去には「あなたの存在は迷惑」だの、「希少疾患など研究してもカネにならん」だの、「診てあげる、あげない」だの、

わけの解らない医師の対応を長年経験してきた。要するに自分のような人間は医師にとって生きていて欲しくない存在なのであろう

とまで感じさせられる。そんな事は自分自身、重々承知しているつもりである。

 

そういう医療現場に一生関わる患者、−現行の医療現場での現実(対応)が非常に厳しい(難しい)、治療が必要なこの病気を持つ患者−、

(特に炎症反応が上昇しない場合)は、医師に見放される事が前提であるが故に、誰が何と言おうと自分を信じ、精神的にありとあらゆる

工夫と、生き残る為の手段を自力で考え続ける強靱な精神力を持ち続ける事が大切である。

 

医師から見て「邪魔」(面倒)な患者であるからには、患者本人の対応策として、人間不信に陥ろうが、対人関係がどうなろうが、

どうであれ、死ぬまで「気力」だけはしっかり保つ事を願う。気力を失うのは死んでからで充分である。

 

「自分は社会のクズである」「自分は生きていない事とする」など徹底した自己否定で生き抜く方法も有効であるが、小児慢性疲労症候群経験者でもない

限り難しいと思われる。また、希少疾患は患者数が少ないこと・専門医が少ない事から、(患者の)「真実でない噂話」などで専門医が妙な結託を起こす事

があり、患者が大変な迷惑を被る事がある。よく考えてみれば、たとえ全医師が徒党を組んだとしても所詮人間社会の少数派である。

生きとし生ける人間は医師も含めほぼ全てが患者である。”一般社会”で人間関係が成立している「あなた」はオカシクない。

 

このように希少疾患の患者の中でも希少なケースは、医療現場において大変不利な立場にあるが故に、開き直りはとても重要であり必要である。

(検査に異常がない?それがどうした)

 

そして、どういう病気であれ、いついかなる時でも、患者は「意地でも大声で笑い倒す」姿勢を失わない事が日常生活で最も重要なポイントと感じる。

(要は、命懸けで「よく怒り、よく笑う」ことである)

 

また、「発症前と後の自分を”比較しないこと”」である。

......その分、小児慢性疲労症候群を含め、小児発症は、健康な状態を覚えていなだけ有利かもしれない。

   理不尽な経験が長い分、一つくらい良い事を見つけたいものである......

人間、必ず死ぬ。「こいつも、あいつも死ぬ」。同じ死ぬなら、死ぬまでに、しっかりじたばたして、しっかり死にたいものである。

 

   あまり理不尽な目に遭った時は、「人間皆死ぬ。こいつも死ぬ」と心の中で唱える事でコトを穏便に済ませる事が出来る。

   これは一つの貴重な(立派な・高度な)獲得技術である。

   患者は医師に対して文字通り「死ぬ気で」立ち向かう覚悟を持ち、あの手この手で、くじけずに頑張って欲しい。

 

世の中わけの解らない医師ばかりではなく、長い長い闘病生活の中、親身になり現在も大変お世話になっている医師も多数存在する。

そういう「まっとうな」同僚医師達に迷惑をかけない為にも、また、長年医者に関わる事により理不尽な目に遭い続け、生きているのが

とことん面倒になり、「死ぬのがどーした。医者のツラ見るよりマシ」「死んでも医者なんかに行くか!」という心境をもつ患者をこれ以上

増やさない為にも、まずは日本から、「検査一辺倒」の医療現場のあり方を考えて頂きたいものである。

医療というのは「まず患者に治したい気があって」成り立つもの。「患者の治す気を失せさせるような今の医療」はとても健全とは思えない。

 

医師選び

・どういう疾患でも、特に希少疾患の場合、治療を受ける際は、充分医療機関を選ぶこと。

・患者数の少ない病気である事、治療薬の副作用が強いことから、一つの医療機関で診断がついても鵜呑みにせず、それがたとえ

  大変高名な医師であったとしても、特に炎症反応が出ない場合は、念のためセカンドオピニオンで確認した方が良いかもしれない。

  (本当に患者に親身になる医師は、セカンドオピニオンを求めたからといって、むくれるような事はない。筆者も経験はあるが、むしろ、

  それでどうこう言うようであればその医師は「あなたにとって不的確」である。担当医を決めるのは「あなた」であって、医者ではない。)

・「信頼出来る医師」に出会った時は、些細な事も含め、とにかく、よく相談する。

 

まず、医学界ではなく、「あなたの症状」を信じてくれる医師を探すこと。

そして、希少疾患という「圧倒的に医師側優位」の世界に一生身を置く事を考えると、最終的には「治療拒否」も頭に置き、

診察を受けることが必要かもしれない。人生を決めるのは医者ではなく「あなた」(患者)である。

一般社会に生きる人間は、大人も子供も、万障繰り合わせて医者に行く時間を捻出することほど、迷惑かつ困難なことはない。

希少疾患を持つ患者に対して「診てあげる、あげない」態度を持つ傾向に陥りやすい専門医達(特に若い専門医)、そして「炎症反応絶対信奉」

の医師達には、この真の「患者の現実」をしっかり念頭に置き、患者の『現実』と真剣に向き合って頂きたい。

 

 

 

患者と家族の現実

 

専門医でも理解の乏しいこの病気を持つ患者は、一見「健常者より健康」にみえることから、家族も、親戚・友人・近所・社会から理解を全く得られず

孤立する。孤立だけならよいが誤解される。「見て」解らないものは、いくら説明しても難しい。日常生活で手助けが欲しい家族にとっても大きな災難である

家族も、医者にボッタクラレっ放しの人生となり、「医師・医療に対する大いなる失望と怒り」を中心に、「悲しみと絶望」、「希望と責任感」、「開き直り」(病人

を抱えている様にみえなくて悪かったな!)、「割り切り」(我々はこの世にいなくてよい)を軸として、この命を脅かす病気に真剣勝負を続けている患者と共に、

怒り・笑い、精神のバランスを上手くとり乍ら、生活を支えて懸命に生きている。

 

患者とその家族形態は、「現在子供」「子育て中」「独居」「老・病介護」「病・病介護」「病・病・病介護」など多様である。

この病気に関わる限り、家族も「病気・医師・現実」に対応するだけで精一杯であり、他人の見え方など気にしている余裕はない。

(患者も、巻き込まれている家族も、あらゆる意味で「時間がない」)。「出来ることを、出来るだけ。出来るまで」。

『無人島に住んでいる』と考え、個々、一度しかない貴重な人生に集中・没頭している。

(人生は一度、一生は短い。)

 

日常生活において、「病気」は言い訳にならず、患者・家族は、人それぞれ「他人の人生の理解など出来るハズない」という「当たり前」の”現実”に

しっかり向き合い、基本である「一人で生きて、一人で死ぬ覚悟」を要求されている。

「患者と家族の厳しい現実と覚悟」、「その意味」、そして、何より、『炎症反応が上昇しなければ全身性炎症はあり得ない』とする

現在の迷惑な医療現場のあり方を、医師には真剣に考え直して頂きたい。

 

患者も家族も、「自分に合った、出来る範囲のリハビリ」を見つける”など”、日々、短時間でも自分に没頭できる時間をつくる努力・工夫を

怠らず、たとえ相手が医師であっても他人に振り回されることなく、自分の人生にしっかり集中し、精神的に自立する事により、

”あなたの主治医”とともに、「より良い、豊かな人生」を構築される事を祈念する。

 

2012年12月25日

-revised in June 27, 2013-

[Co-Cure-Japan, Administrator 陰山理香 (Rika Kageyama)]

*Chronic Fatigue Syndrome: Onset 1979, 15 years old 

 --Diagnosed at the U of W in 1989 (US), The Jikei University in 1992, Tokyo Women's Medical University in 2001, Tokyo Medical Centre in 2001--

*Relapsing Polychondritis: Onset 1995 

--Diagnosed at the Tokyo Medical and Dental University in 2005, Japanese Red Cross Medical Center, U of Tokyo in 2006,  

 Nihon University School of Medicine 2008,  National Hospital Organization Utano Hospital in 2009, University of Occupational and Environmental Health in 2011--

*Intestinal Behcet's: Onset 2001 

--Diagnosed at the Japanese Red Cross Society Kagoshima Hospital in 2011, U of Kyoto in 2013--

 

 

Chrinic Fatigue Syndrome=慢性疲労症候群、

Relapsing Polychondritis=再発性多発性軟骨炎、

Intestinal Behcet=腸管ベーチェット

 


 

下記、炎症反応にかかわらず、積極的・具体的な治療案を頂いた病院:

『再発性多発性軟骨炎』…日大医学部(膠原病内科・澤田滋正名誉教授)、京都宇多野病院(膠原病リウマチ科)、北九州産業医大(膠原病内科・田中良哉教授)

『腸管ベーチェット』…鹿児島日赤(膠原病内科・松田剛正院長・鹿児島大学教授)、京都大学(消化器内科・千葉勉教授)

 

(注)上記の中でも、慢性疲労症候群についてよく知らない医師が多い。

   患者数が多くても実態を知って頂けない病気がある。認知度は患者数の問題ではないようである。

 


 

 

 

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